医療ブログ

長い長い治療の末に

文責:田中 / 2020年1月30日

以前、病院ホームページへ掲載していた記事を再掲させていただきます。少しでも皆様のご参考になれば幸いです。

データや状況などは当時のものとなっておりますのでご了承ください。(2011年9月掲載分)

 

Sさんが初めて来院されたのは、3年ほど前の事になります。
すでに複数の不妊クリニックで体外受精を幾度となくやっておられましたが、一度も治療は成功せず、以前から持っている子宮筋腫を切除すれば妊娠率が上がるのでは、と考えてのことでした。診察してみると、子宮内腔(ないくう)(受精卵が着床する場所)に食い込むように子宮筋腫が出来ています。この粘膜下筋腫と呼ばれるタイプは、不妊の原因になる事が良く知られているものでした。今まで手術を勧められなかったことが不思議な位でした。早速、腹腔鏡手術の予定を立てました。順番待ちで数ヶ月間お待たせはしたものの、手術は滞り無く終わり、無事に筋腫を切除することができました。
楽観的に考えていました。子宮筋腫を切除して、子宮の環境さえ良くなれば直ぐに妊娠できるだろうと。
しかし、予想に反して治療経過は非常に困難なものとなりました。その後、何度体外受精をやってもどうしてもうまく行かないのです。卵巣の反応性はSさんの実年齢よりも余程若い位でした。刺激にも素直に反応してくれるし、採卵した卵の受精率も毎回非常に良好でした。しかし、いつもいつも途中で受精卵の発育が止まってしまうのです。培養の方法、刺激の方法、移植の方法・・・ありとあらゆる方法を試しました。何度やっても結果は同じなのです。
「残念ながら今回も駄目でした・・・。」という毎度のように繰り返される私の言葉。Sさんはいつもただ微笑むばかりで、何も言いません。私の方から、「少し治療を休んでみますか?」という言葉を何度か掛けたりもしましたが、その時だけは、決まって「いえ、次も頑張ります。」ときっぱりと仰るのでした。
体外受精の方法には大きく分けて2つの方法があります。1つは、排卵誘発剤を使って一度に沢山の卵を取る方法、もう1つは殆ど薬を使わずに、たった1つだけ、自然に排卵してくる卵を狙う方法。漁に例えれば、前者が地引網を使った一網打尽の戦略だとすれば、後者の自然周期採卵は、大海原に1本の釣り糸を垂らして魚がかかるのをひたすら待ち続けるような方法と言えます。すでに他のクリニックで、相当な量の排卵誘発剤を使っていたSさんの卵巣に、これ以上負担をかければ、逆に卵巣の機能低下を早める恐れがありました。そのため、Sさんには、自然周期採卵を基本にした治療方法を選択せざるを得ませんでした。この方法は、排卵誘発剤を殆ど使わないので、負担が少ないというメリットがある一方、たった1つの卵の自然排卵を地道に待つという意味で、根気と忍耐が必要です。
排卵は1カ月に一度しかありません。そのチャンスを逃さないよう、細心の注意を払う必要があります。「いつかは良い卵が取れるのではないか」と願いながらも、その確証はどこにもありませんでした。ただひたすら卵胞発育をモニターする日々が続きました。
そして16回目の採卵。
奇跡が起こりました。たった1個だけ取れた卵子からできた受精卵が、しっかりと着床してくれたのでした。
ずっと不妊治療をやっていると、何か見えない力が働いていると感じてしまう場面があります。Sさんが不妊治療を始めてから既に5年近くの歳月が経っていました。治療中に不惑を迎えられたSさんにとって、この長い長い時間は決して無駄ではなかったのだと思うのです。そのたゆまない努力をちゃんと神様が雲の上から見ていてくれたのです。そして、最後の最後でご褒美をくれたのでしょう。
不妊治療を行う立場の私が、「奇跡」などという言葉を軽々しく持ち出すのは不適切なのかも知れません。でも、そうとしか思えないのです。
よく、御妊娠された患者さんから「ありがとうございます。先生のお陰です。」という言葉を頂きます。違うのです。お二人の努力の賜物なのです。私たちはそれをほんの少しだけお手伝いしたに過ぎません。
全ての妊娠は神様がくれた奇跡だと思います。そしてその奇跡が起こる瞬間の感動を患者さんから分けてもらえることは本当に素晴らしいことです。
Sさんが卒業される時、久しぶりに診察中に言葉に詰まってしまい、ロクに挨拶もできませんでした。
このクリニックに、これ程までの御信頼を寄せて頂いたこと、そして感動を頂いたこと、心から感謝を申し上げます。