医療ブログ

50兆個

文責:田中 / 2020年2月6日

以前、病院ホームページへ掲載していた記事を再掲させていただきます。少しでも皆様のご参考になれば幸いです。

データや状況などは当時のものとなっておりますのでご了承ください。(2012年6月掲載分)

 

昨夜、お産を取り上げました。
不妊治療と内視鏡手術の道をひたすら歩み始めて以来、産科医療からは久しく遠ざかっていました。自分で分娩を担当するのは実に7年ぶりのことになります。
陣痛は強くなったのですが、赤ちゃんは夜中かかっても出てきてくれませんでした。最後は患者さんのお腹を力一杯押してあげて、患者さんにも200%の力でいきんで貰って、漸く出てきてくれました。
久しぶりの光景でした。
生まれたての赤ちゃんを見て、私は不思議な感動にとらわれました。
自分が行った体外受精の患者さまの分娩に立ち会うのは、初めての経験だったからです。
私は、この赤ちゃんが受精卵の時の状態を昨日の事のように知っているのです。
卵巣から採取された卵子はたった1つの細胞です。そこにたった1匹の精子が進入し、受精卵というまたたった一つだけの新しい細胞になります。それが1日経つと2つの細胞になり、2日で4つの細胞に、3日で8つの細胞に・・・と細胞分裂を繰り返して行きます。この赤ちゃんの場合、受精後5日目相当の「胚盤胞」という状態で移植をしたので、その時の細胞数は、大体数百個位だと思われます。そのたった一つの胚盤胞を培養士がチューブに吸い上げ、それを私が受け取り、子宮に移植したわけです。
そして、10ヵ月後、この赤ちゃんが誕生しました。

 

この子は一体いくつくらいの細胞数からできているんだろう?あれから何回位細胞分裂を繰り返したんだろう?確かどこかに人間の細胞数は50~80兆個とか書いてあったっけ?途方もない数だな。データベースに残っているこの赤ちゃんの受精卵の写真。一番きれいにピントがあっている表層のあの細胞はこの赤ちゃんのどのあたりを構成しているのだろう?脳かな?それとも爪?確かこの患者様は凍結保存しておいた胚での妊娠だったはず。つまり、卵ちゃんはうちの病院の培養室の中でずっと眠っていた訳だ。そして、今度はお母さんのお腹からまさに同じこの病院の中に生まれ出てきた訳か。これってシャケの回帰本能とどこか似てはいないか?すると、この赤ちゃんの本当の故郷はお母さんのお腹の中じゃなくて、実はこの病院ってことになるのかな?とにかく、あの受精卵がこんな玉のような赤ちゃんに変身するなど、どんな天才にも夢想だにできないに違いない。地球上に生命が誕生したのは、約三十六億年前。そして人類が誕生したのが約五百万年前。あの受精卵がわずか1年足らずで完結した生命にまでなるっていう劇的な進化は、本当にこの期間だけで達成されるものだろうか?ダーウィンの「進化論」なんてやつだけで説明がつくのだろうか?やはり、神様が全てを支配されているからこそ、私達の生命が生まれるのではないだろうか?そうだ、そうとしか考えられない・・・。
「先生、早く会陰切開の処置をお願いします!」
助産師の声に、はっと我に返りました。私の妄想は止めども無く広がって行き、手を動かす事も忘れて、いつの間にかボーっと赤ちゃんに見惚れていたのでした。
日本では、不妊治療と産科診療が一体化している施設は数える程しかないのが現状です。メディカルパーク湘南が開院してまだ1カ月ですが、この病院が出来た事で、初めて不妊治療の患者様の出産までをトータルで見守ることができるようになりました。このような機会を与えられた自分は本当に果報者だと思います。無謀とも言えるこの病院計画を支えてくれた家族、職員には、感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ、私は意識して産科部門には立ち入らないようにしています。昨年中の一時期、産科立ち上げに自分自身が先頭に立って奔走していた時期がありました。実はその時期に一致して、それまでずっと高水準をキープしていた体外受精の治療成績が僅かながら悪化したのです。理由は全く分かりません。培養液を替えた訳でもなければ、培養環境が変わった訳でもありません。そしてその後、産科の事は他の先生方に任せるようになった途端、不思議な事に治療成績はまた元の水準に回復したのです。
私には「妊娠の神様」に罰を与えられたとしか思えないのです。二兎を追うもの一兎を得ず。生半可な覚悟で臨んでいると妊娠の神様に直ぐに見透かされてしまうのです。
ちょっと寂しいですが、分娩の感動的な場面は、やっぱり他の先生方や助産師にお任せしたほうがよさそうです。
私は妊娠の神様にそっぽを向かれないよう、培養液の中に浮かんでいる細胞ちゃん達相手に、明日からも戦っていこうと思います。