医療ブログ

悟り

文責:田中 / 2020年3月6日

1か月ほど前の事。
もう少しで日付変更線を超える時間帯。
これから平和にお風呂入ってゆっくり寝ようと思っていたところで携帯が鳴りました。当直の中川先生からの電話でした。
「お休みのところ、すみません。分娩進行中の患者さんなんですが、赤ちゃんの状態がちょっと悪そうで。これから帝王切開をした方が良いと思いまして。」
「ああ、分かった。これから向かうよ。状態そんなに悪そうなのか?」
「いえ、今は胎児心拍モニターは落ち着いています。それほど緊急の状態では無いので、気を付けていらしてください。こちらの準備もまだしばらく時間かかりそうですし。」
「了解。」
軽い溜息とともに電話を切りました。それほどの緊急事態ではない様子。軽くシャワーだけ浴びて、着替えて、それで病院到着がこれから見積もって大体20分後位だろうか、そんなことを頭の中で算段しました。
ところが、重い体持ち上げて準備始めたところで、また電話が鳴りました。
「院長、胎児心拍が急に低下しているようなので、すぐ来てくれますか?大至急でお願いしたいのですが。」
状況が変わったようです。
「分かった。とにかくすぐ向かう。」
今度はバネで弾かれる様に飛び起きて、着の身着のまま車のキーだけ持って外に飛び出しました。
10分程度で病院に着くと、そのまま直接オペ室に直行しました。すでに患者さんも入室していて、心電図やら血圧計やらの準備があわただしく進んでいました。自宅待機の手術室専属の看護師も到着していて、あたふたしながら機械を出しています。見ると私同様、パジャマかジャージが分からないような私服のまま。
兎に角、現在の胎児の様子が知りたい。「ドップラー」と呼ばれる機械をお母さんのお腹に当てて、赤ちゃんの胎児心拍数を確認しようとしました。しかし、どこに当てても、何回やっても、胎児の心音が取れません。どうやっても全く取れないのです。

心停止だと直感しました。

1秒でも余裕は有りません。腰椎麻酔をかけるのに、どんなに迅速に対処しても最低5分はかかります。しかし、そんな時間すらありません。頭の中で、例え無麻酔でもお腹を切って赤ちゃんを娩出しなければならないと覚悟しました。
そこから先は余りはっきりした記憶がありません。とにかくオペ室に色んな怒号が響く中、中川君が一瞬で麻酔をかけてくれ、それとほぼ同時に通常の帝王切開の手順を全く無視して無理矢理に子宮を切開しました。瞬間、真っ赤に変色した羊水が鮮血となって子宮から溢れ出しました。胎盤早期剥離でした。赤ちゃんは、完全な仮死状態でした。すぐさま中川先生が新生児の蘇生処置を開始。幸い数分で徐々に自発呼吸が戻ってきました。ちょうどそのころ、連絡しておいた神奈川県立こども医療センターの児科専門医が救急車で到着し、蘇生治療を引き継いでくれました。後は、お母さんの方です。胎盤早期剥離の場合には、体内の血液凝固能が破たんし、出血が止まらなくなり、それが死に直結することがあります。特にこの方はもともと子宮腺筋症で不妊治療していたこともあり、子宮の筋層が病的に肥厚してしまっており、縫合に相当な時間が必要でした。それでも幸い、異常な出血も無く、お腹を閉じることが出来ました。

完全な胎児心停止状態から、赤ちゃんを助けられたのは、奇跡としか言いようがありません。集まってくれたスタッフが皆熟練で、緊急事態にも動ぜず、各々が各々のベストを尽くしてくれました。少しでも発見が遅れていれば、少しでも準備が遅れていたら、少しでも到着が遅れていたら・・・など、あらゆる“if”が考えられます。たった一つの“if”あっただけでも、生死に直結する大変な不幸な結果を招いたに違いありません。その場に居合わせた職員と、そして神様に心から感謝しました。

すべて一段落して帰途についたのは、もう午前2時を回っていたでしょうか。
病院を出ると、凍てつく真冬の空を見上げると、下弦の月が。極限状態から一転、現実に戻ってきた感じがしました。そして朝から入っている自分が執刀予定の手術の事がよぎりました。その途端、体中に鉛の塊が膨張してくるような疲労感を覚えました。これから何時間眠れるんだろう。こんなんで明日、乗り切れるんだろうか。もう若くありません。
「あーあ、また命削っちゃったな・・・。」
自然に口から独り言がこぼれました。
その時、ほぼ思考停止している脳みそに過ったことがありました。
「お前が削った『命』。それってさっきの赤ちゃんにバトンタッチされただけじゃないか?」
ああ、なるほど、そうか。そうだったんだ。ドラクエとかのRPGの『ライフ』と一緒じゃん。オレ、今日、自分のライフの受け渡しやったんだ。

自分よりも未来があるあの赤ちゃんにオレのライフを少しばかり分けて上げたって事だろう。だったら良いじゃないのか?そうか。世の中はこうして成り立っているんだろう。親から子へ、じじいから若者へ、先生から生徒へ。皆自分のライフを他者に受け渡していく。そして次の世代へ未来が託される。次の世代へ希望が繋がれる。縄文土器の時代から、ITやら5Gやら、魑魅魍魎が跋扈するこの浮世まで。ずっとずっとその繰り返し。
東の空に怪しく浮かぶ下弦の月をぼんやり眺めながら、悟りを開いた気分になって、思わずニヤリと。

追記:
その後、赤ちゃんはこども医療センターの集中治療室に搬送されて行きました。しかし、急激に回復し、母児ともに無事に退院されました。後日、こども医療センターの小児科の先生から経過報告のお手紙を頂きました。そこには「あれほどの仮死状態から、後遺症も無く、回復されたのは、貴院での迅速な緊急手術と的確な蘇生のお陰です。」とわざわざお礼のお手紙を頂きました。これは何にも代えがたい勲章でした。手紙を押し抱きました。
もうすぐ出産後1か月健診のはずです。お母さんもお子さんも元気一杯のはずです。産科のスタッフたちは患者さん親子に会えることを、皆、心待ちにしています。