院長ブログ

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「息子よ・・・」

2010年2月03日

久しぶりに多少早めに帰宅しました。こんな日こそ、小学校2年生になる息子と遊んでやろうと思い、声をかけました。

 「オセロゲームでもしようか?」

 「いいよ。でも何もないとつまらないから、何か罰ゲーム作ろうよ。」

 「よーし。じゃあ、お父さんが勝ったら・・・、そうだ、算数のプリント1枚やってもらうってのはどうだ?」

 「いいよ。じゃあ僕が勝ったら?」

 絶対に負けることは無いと思った私。絶対不可能な約束をしてあげようと思いました。

 「じゃあ、お父さんが負けたら、毎日夜7時半には帰ってきてあげる。」

 「えーっ!! それじゃあ、僕が勝ったのに、僕が罰ゲームみたいじゃないか!」

 むっとするのをぐっとこらえました。

 「じゃあ、一体どうしてもらいたいんだ?」

 「僕が勝ったら、毎日、夜中になってみんなが寝るまで帰ってきちゃダメ。」

 ・・・・我が息子よ、本気かい?

「成功は復讐する」

2010年1月25日

年末年始のお休みの間に、「失敗の本質」という本を読みました。旧日本軍の第2次世界大戦中の重要な局面での失敗を分析した研究です。昭和55年に書かれた古い本ですが、最近、話題になっているらしく、文庫本コーナーの目立つ位置においてあったので、つい買ってしまいました。

 ノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナル戦、インパール作戦などを取り上げ、失敗の原因を客観的に分析しています。そして、旧日本軍の組織的体質をあぶりだし、現代の企業などの組織論にまで発展させており、一気に読んでしまいました。

 日本軍が昭和に入ってからも、日露戦争時代のバルチック艦隊との日本海海戦、旅順攻略などの過去の栄光を引きずっており、その当時の戦略をひたすら踏襲し、敗北に敗北を重ねていった、という考察は面白いと思いました。

 例によって、また体外受精の成績についての話になります。

 年が明けて、12月中に胚移植を行った患者様の結果がすべて出揃いました。

 驚くべき数字でした。

 28人中、12人(融解胚移植5人、新鮮胚移植7人)が妊娠されたのです。分母数が小さいので、大きな意味はありませんが、移植あたりの妊娠率で計算すると、42.8%となります。これは、ものすごく高い数字です。半数近くの患者様が妊娠されたということは、この上無い喜びです。これは一重に、培養環境向上のために日夜努力をしてくれている胚培養士、陰に日向に患者さんをサポートしてくれる看護師、そして縁の下の力持ちに徹してくれている全職員の努力の結晶だと思います。

 一方、私に課せられた責務は、この成功に驕ることなく、失敗の原因追究に努力を惜しまないことです。この結果は、裏を返せば、28人のうち、16名の方は涙を飲んでおられるということです。この方々の為に何ができるのか、どこに原因があるのか、何が改善点なのか考えなければこれ以上の発展は有り得ません。

 戦争でも、スポーツでも、多くの場合、勝敗の分かれ目は本当に小さな所にあるのでしょう。予期せぬ天候の変化で、形勢が大逆転することもあります。その中で「凡ミスを犯す頻度が、より少なかった方が勝つ」ということは良く言われることです。不妊治療の世界においても、「妊娠するか、しないか」は、本当に小さな差でしか無いように思うのです。妊娠という解答を導くための「模範解答」は1つとは限りません。その結果、多くの場合、治療成功例(妊娠例)を積み上げ、そこから公約数とも云うべき共通点を見つけ出し、それを学習・反復する、という方法論が取られます。しかし、この本を読んで思うのは、本当に学習すべき教材は、成功例ではなく、失敗例にあるのだ、という思いを強くします。採卵時間のほんの少しのずれ、移植の際のカテーテル挿入位置の誤差、こうした本当に小さなことの積み重ねが、最後に患者さんの笑顔を見られるかどうかを左右してくるのでしょう。

 旧日本軍の失敗を不妊治療に準える(なぞらえる)のは、多少無理があるかも知れません。しかし、教訓とすべきたくさんの共通点があるように思います。

 この文庫本の背表紙の副題には「成功は復讐する」と大きく書いてありました。

これから、分母が大きくなってくれば、この42.8%という妊娠率は、確実に下がってきます。その時、ぶれることなく、次の手が打てるかどうかは、失敗症例から何を学んできたかに懸かってくるのだと思います。

 そして、そのことだけが、治療が失敗だったとき、「残念ながら妊娠していません」という私の宣告を、ただ黙って聞いて下さっている、患者さん1人1人の、心の中の涙に報いる唯一の道筋だと思います。

「フシンシャ」

2010年1月24日

実は、今まで登場したことがありませんでしたが、我が家には息子の下にもう一人娘がおります。今度小学校に上がるのですが、女の子は口が立つというか、理屈で攻めてくるので閉口します。

特に、最近、反抗が強くて困ります。先日の事。仕事が終わった後、子供達を連れて、イトーヨーカドーに出かけました。夕方で疲れていたのでしょうか?娘は通路のど真ん中でも平気で座り込み、さらには寝転がり、何度言ってもその繰り返しで、前に進むことができずに一向にらちがあきません。

「廊下に座るな!立ちなさい!」周りの目を伺いつつ、イライラしながら怒る私に、対して、

「何で外で寝転がっちゃいけないの?」

娘は、公然と反抗して来ます。

「周りを見てみなさい。誰もそんな人いないだろ?寝転がるのは家の中だけだって決まっているんだ!」

私も、思わず声を荒げてしまいます。

「だって、幼稚園の先生が道路とかで寝転がっている人もいっぱいいるって言ってたもん!」

「いい加減なウソをつくんじゃない!」

「ウソじゃないもん。ほんとだもん。」

「ほー。じゃあ、いったいそれは誰なんだ?聞いてやろうじゃないか。言ってみなさい。」

「『フシンシャ』って言ってた。」

おまえ・・・、

それは「不審者と思われるから、道端で寝転がっちゃいけません」って話だったんじゃないのか?

「目標はキリギリス!」

2010年1月22日

 学生時代に星新一のショートショートの中で読んだ話です。

 世界的な玩具メーカーの就職試験を突破した新入社員、その中でも、最も優秀な成績を修め、将来を嘱望されたエリート候補が数名選りすぐられました。彼らには他の社員とは全く別の任務が与えられます。人里離れた別荘に連れて行かれ、そこで集団生活を命じられました。しかし、具体的な仕事は皆無で、その一方で、食事、お酒など、希望したものは全て何不自由なく提供されました。最初のうちは、その厚遇に大喜びで、毎日贅沢三昧を始めた彼らでしたが、じきに飽きてきました。そして、時間潰しに、世界中の娯楽品を取り寄せ始めました。しかし、どれもそのうちに飽きてしまいました。そのうちに、自分たちでゲームを作って遊び始めました。元々が頭脳明晰だった彼らは、色々と工夫を重ね、とうとう人類史上稀にみる面白いゲームを作り上げてしまいます。その時、社長が登場し、「おめでとう!よく任務を果してくれたね!」と彼らを労うのです。つまり、最初から、彼らは新しいゲーム開発という特命のための選抜メンバーだった、という訳です。「だったら、何故最初から任務を伝えてくれなかったのですか?」という新入社員の当然の問いに、社長は答えます。「最初から目的を知っていたら、本当に自由な発想は生まれない。君たちは何も知らずに贅沢の限りを尽くし、全てを満たされていたからこそ、真に創造的なアイデアが生まれたのだ。」

 相当前の話なので、記憶はだいぶ歪曲されているかも知れませんが、大筋はこんな感じだったと思います。

 確かに、周りを見回して見ると、そういった例はたくさんあります。

 西洋のクラシックや、日本の茶道といったものは、経済的に余裕がある上流階級が中心となって育んで来た文化です。サンドイッチという食べ物は、トランプ狂いのイギリスの貴族が、トランプしながらでも片手でつまめる料理として考案されたといいます。サッカーから派生したラグビーを創り出したのは、イギリスの伝統的エリート養成学校であるパブリックスクールです。

 最近、何故かこの話を良く思い出すのです。

 翻って、自分自身を顧みます。「忙殺」という言葉がありますが、まさに、忙しさに思考能力を殺されてしまっているようにも思います。自分では全てにおいてベストを尽くしているつもりでも、やはり、心と体に余裕が無いと、健全とはいえないのかもしれません。

 お陰様で、湘南IVFクリニックはもうすぐ一周年を迎えます。

 2年目の目標の1つが、この「余裕」という言葉だと思っています。

 自分自身に、常に余裕やゆとりを持ち合わせていないと、質の高い医療を提供することはできないのではないかと感じています。

 日常に感けて、あくせくした毎日を続けていると、本当に良い仕事というものはできないものなのでしょう。ましてや、それが医療行為である場合、患者さんがその影響を被ることになりかねません。

 イソップ童話の「アリとキリギリス」は、せっせと働くアリが生き残り、怠惰なキリギリスは飢え死にしてしまうという話ですが、もしかしたら、柔軟な発想力や、自由奔放なアイデアというのは、この「キリギリス的生活」からこそ生まれるのかも知れません。

「神様降臨」

2010年1月15日

診察室を出て行かれる際に、患者さんに声をかけて頂くことがあります。

「ブログの更新、楽しみにいますので!」

期待して頂くのは、大変有難い話なのですが、うまく行かないものです。

最初は「職員のブログ」ということで始めたものでしたが、気がつけば完全に「院長専用ブログ」と化しています。

テレビなどで、「神様が降りてくる」という言葉を何度か聞いたことがあります。

ミュージシャンや作家が、仕事に取り掛かかる際の話です。多くの場合は、良いアイデアが浮かばずに、ダラダラひたすら無駄に時間が過ぎていくといいます。しかし、何回かに1回、大抵は深夜誰もが寝静まった頃に、いきなりアイデアが浮かんで、そうすると何かに取り憑かれたように急に仕事が捗り始めることがあるそうです。

この瞬間のことを業界用語で「神様が降りてくる」などと呼ぶそうです。

全く違う世界の話だと思っておりました。

しかし、ブログを始めてから、私もこの「神様が降りてくる」瞬間を、体感するようになりました。

ブログの更新は、マメであればあるほど、良いのでしょう。しかし、中々取り掛かれません。一般のブログの場合、書き手の匿名性は守られておりますが、ここでは、完全に書き手の面が割れており、さらに読み手も、恐らくは通院されている患者さんと、それから職員などの関係者のみと、極めて限定的だと思われます。そこで、最も神経を使うのは、読んだ方の中で、例え一人でも、不快に感じるようなことがあってはならない、ということです。政治的・宗教的なメッセージや、特定の個人・団体あるいは世相全体に対する批判などのトピックは、極力避けるようにしています。そのため、縛りが強くなり、当たり障りの無い内容に限定されます。「○○に行って来ました!」とか、「今日はこんなおいしいもの食べました!」みたいな心弾むレポートが書ければ良いのですが、日常生活の中での変化など、そうそうあるものでもありません。家族のことを書ければ、と思うことは多々あるのですが、妻からは「私達の私生活を切り売りするような真似は断じて許さない」と、きつく言われており、この領域は絶対禁忌(生命に関わる危険を伴うことが明白な為、絶対にやってはいけない医療行為のこと)となっております。

書きたい事は、時々は浮かんでは来るのです。ただ、それを纏めようとすると、これが難しいのです。「今日こそは」と思って、パソコンの前に座るのですが、全然進みません。すぐに煮詰まってくるので、テレビの深夜放送見たり、コーヒー飲んだり、お風呂入りなおしたり、マンガ読んだり・・・と無駄に時間だけが過ぎていきます。

そして・・・日付変更線をとうに回った頃、本当に神様が降りてくることがあるのです!途端にスイッチが入ったかのように、キーボードが動き出します。気がつくと丑三つ時くらいになっていることもありますが、完成までの時間も気になりません。

翌日は当然寝不足ですが、「一つ仕事を終えた」という達成感は、結構快感です。

こうして、1つ1つ難産しております。

これが、更新が非常に不定期になってしまう理由です。

ご理解賜れば幸いです。

神様も、さっさと降りてきてくれれば効率良く時間を使えるのに、と思います。でも、世の中そんなに甘くはありません。

仕事がはかどり始めるまでの、グダグダで、ダラダラの、果てしなくだらしない数時間。しかし、この時間こそが、「神の降臨」を待つために、絶対に不可欠な儀式のように思えてくるのです。

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